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生活実感に基づく仮説


年齢を重ねると、これからというテーマで話し合うことが多くなってきました。社会的にもロシアとウクライナ、中国と台湾、アメリカのインフレ、日本の長引くスタグフレーション、そして感染症。話すテーマには事欠きません、これまでとは明らかに全世界的に社会のフェーズが変わってきたことを実感しています。



環境も立場も違ういろいろな方の考えをオンラインで聞いたり、話したりするなかでこれから大切だと確信しているものがあります、それは自ら仮説をつくれるのかということ。

出来上がったものに対して評論するのではなく、自らが情報を収集し、自分なりに解釈し、気になるところは調べて、自分なりの意見を仮設として構築することができるのか、ということ。


研究者は、「これがこうなんだからきっとこういうことではないか?」という仮説の基に必要な処方で検証するということを積み重ねています。まずは、仮説がないとなにを検証していいかも分かりません。一般生活者においても、これからは「みんなで右へ行きますよ」「ちょっと右過ぎたから左へ修整します」というような、みんな仲良く同じ道を歩むという時代ではないのは明らかです。では自らの歩みたい道を、自らで見つけることができるのかということです。


1980年代にPOSレジ情報が活用され始めるようになったころ、流通の風雲児といわれたダイエー創業者の故中内功氏が語られた言葉はいまも忘れることができません、「販売時点などは過去情報や、そやからこれから何が売れるかを予測しといてレジで検証するんや。レジの結果見てから対応したって遅いわ、雨降る思たら降る前に傘を出さなあかん」と。


感染リスクは一時よりは低くなり、もうすぐ入国制限は撤廃され、諸外国と同じように3年前と同じように海外へも制限を受けずに渡航可能となります。以前のような日常が戻って来たとき、どのような生活を行うのか、責任ある行動とはどのようなものなのかを、それぞれがそれぞれごとにイメージすることが大切ではないでしょうか。政府が言うから、自治体が言うから、テレビで言っていたから、ではなく自身でありたい姿をしっかりとイメージできるように考え自分なりに調べてみる。


マスクが嫌なら外せばいい、ただし他人に強要はしない。マスクが必要なら着ければいい、ただし他人に干渉はしない。同じような価値観の人だけで社会は構成されていないのです、遥か昔から。ある事象が起ってしまうことで価値観の違いが顕在化してしまっただけなのです。その現実を受け容れ、自分自身はどうありたいのか、それをしっかりと向き合って考えてみる。 イメージするのと仮説をつくるのは僕の中では同じです、いずれも創作であり妄想でもあります。ただ実際には、ゼロからなにかを創作しているのではなく、素直になることで感受の偏りを正して世の中の流れを感じているのだと考えています。 その根底にあるのは生活実感、今があって未来へ繋がっています。その局面が劇的に変わっていたとしても、やはり起点は自身の実感にあるように感じるのです。

そのとき、僕はどう判断するのか、そしてどう生きていくのか。善悪、清濁、人種、環境を越えて共生できる寛容な社会を僕は望み、それを求めた判断をしていこうと考えています。 自身に残された時間、次世代の子供たちのためにもまずはいまを記録し、感じたことを提示し続けておきたいとも考えています、それが小さな塵となっても。