100年後の「ありがとう」を目指して
- KN1964
- 4月6日
- 読了時間: 4分
更新日:4月11日
子どもたちと共に描く未来図
「この地球は、私たちが祖先から受け継いだものではなく、子どもたちから借りているものである。」 — ネイティブアメリカンの格言

子どもたちの未来を、私たちの選択で変えられるなら
私たちは日々、多くの選択を繰り返しながら暮らしています。便利さを優先するか、環境への配慮を選ぶか。今を楽しむか、未来の世代への責任を考えるか。そのひとつひとつの選択が、100年後の世界にどんな影響を与えるのか——多忙な日常の中で、ふと立ち止まり、その問いに向き合うことは多くありません。
けれど、ふとした瞬間に訪れる「未来」への実感があります。たとえば、自分の子どもが生まれたとき。
私自身、初めての子どもが誕生した瞬間、命にも代えがたいものを授かったと感じました。もし彼に何かあれば、文字通り命を差し出してでも守りたい——そう心の底から思いました。そこから必然的に「骨髄バンク」に登録しました。親子であっても適合しないことが多い中、もしもの時、我が子を救ってくれるのは、見ず知らずの“誰か”かもしれない。そしてその“誰か”を救うことができるのなら、それは巡り巡って、自分の子どもを守ることにもつながると感じたのです。
この経験を通して、私は本当に守りたいものがあるなら、それはもっと広い視野—環境や社会全体の仕組みごと—を見つめ、取り組まなければならないということを学びました。
「7世代先」を想う知恵
ネイティブアメリカンには「セブンス・ジェネレーション(七世代先)」という思想があります。自分の決断が、七世代先の人々にどんな影響を与えるかを考えて行動する。この視点は、短期的な効率や損得とは反対の時間軸にありますが、それこそが持続可能な社会の根幹だと感じています。

一方、現代社会でもこの思想は再び注目されています。国連では「未来世代の権利を守る」ための議論が進められ、環境、教育、福祉などさまざまな分野で、“将来への責任”という視座が必要とされています。
気候変動、生物多様性の損失、教育格差や経済の不均衡。こうした問題の多くは、私たちの世代で完結するものではありません。今ここでなにかしら手を打たなければ、次の世代がその代償を払うことになる。だからこそ、今日の一歩が大切なのだと感じています。
未来の子どもたちのために、なにを選択し、どう生きるか。小さな日々の行動の積み重ねが、未来の答えとなっていきます。
今日からできる、未来への贈りもの
子どもと一緒に「未来への手紙」を書く
100年後の子どもたちへ向けて、あるいは将来の自分自身や我が子へ向けて、「どんな世界を残したいか」「どんな人でありたいか」を書き綴ることは、自分の価値観を見つめ直す機会になります。
言葉にすることは、未来への誓いにもなります。自分が大切にしたい未来のビジョンを描くことで、それが実現するために必要な要素、今改善すべきことも見えてきます。
「未来の仕事」を一緒に想像する
テクノロジーが加速度的に進化するなかで「子どもたちの65%は、今存在しない仕事に就く」とも言われています。親子で未来の働き方や役割について語り合い、「何を学ぶか」「何を大切にするか」を一緒に考えることは、未来への準備そのものです。
また、単なる職業ではなく「どうありたいのか」「どう社会を良くできるのか」といった視点で仕事を捉える力は、今後ますます重要になるでしょう。
世代を超えて語り合う「リビング・ライブラリー」
年齢や立場を超えて、互いの人生経験や知恵を共有する「リビング・ライブラリー」のような場づくりも、未来を見据える力を育てます。地域の高齢者や子どもたちが語り合い、世代を超えた対話の中から、新たな価値を共有できるのではないでしょうか。
ときには、祖父母の戦中・戦後の話に耳を傾けたり、阪神・淡路や東北、能登半島の大地震など天災についてもしっかりと伝える必要があるのでしょう。そして、若者の新しい感性からも刺激を受けたりと。こうした場は、過去から未来をつなぐ「知の社」です。
未来からのまなざしで生きる
「未来」は、どこか遠い場所にあるものではなく、すでに私たちの選択の中に息づいています。自分の子どもや地域の子どもたち、まだ出会っていない“未来の誰か”のために、どんな種を蒔き、どんな養分を用意するのか。

未来とは、ただ訪れるものではなく、私たちが日々育んでいくものなのです。 「未来とは、今である。」 — マハトマ・ガンジー
未来を生きるであろう人たちから「ありがとう」と言ってもらえることを想い描きながら、今日という一日を過ごしてみませんか。
Comments