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ユーモアとウェルビーイング 笑いがもたらす回復力

  • 執筆者の写真: 西村太志
    西村太志
  • 9月22日
  • 読了時間: 8分

現代社会を生きる私たちは、日々多くのストレスに晒されています。仕事のプレッシャー、複雑な人間関係、そして絶え間なく押し寄せる情報。心身の健康を保ち、より良く生きていくことを目指す「ウェルビーイング」という概念が、今ほど重要視されている時代はないでしょう。その実現に向けたアプローチは、運動、食事、瞑想など多岐にわたりますが、少し意外な、しかし極めて人間的な要素である「ユーモア」に光を当ててみたいと思います。


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ともすれば非生産的と見なされがちな「笑い」が、実は私たちの心身を回復させ、困難を乗り越える力を育む、強力なツールとなり得るのです。科学的エビデンスを基に、ユーモアがウェルビーイングにもたらす多面的な効用について深く掘り下げていきます。



「笑い」の科学的効用 心身に与えるポジティブな影響


私たちは楽しい時に笑いますが、その逆もまた真なり、つまり笑うこと自体が心身に具体的な好影響をもたらすことが、近年の研究によって次々と明らかにされています。ユーモアは単なる感情表現に留まらず、私たちの内部で生理的な変化を引き起こす、強力な作用を持っているのです。


ストレスホルモンの減少と免疫機能の向上


まず注目すべきは、笑いがストレス反応を直接的に緩和する効果です。強いストレスを感じると、私たちの体内では「コルチゾール」というホルモンが分泌されます。このホルモンは短期的に身体を危機的状況に適応させるために不可欠ですが、慢性的に高いレベルで分泌され続けると、免疫機能の低下や不眠、うつ症状など、心身に様々な不調を引き起こします。


ところが、心からの笑いは、このコルチゾールの血中濃度を有意に低下させることが研究で示されています【資料A】。笑うという行為が、交感神経の過剰な興奮を鎮め、心拍数や血圧を安定させることで、身体をリラックスした状態へと導くのです。


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さらに、笑いは私たちの免疫システムにも直接的に働きかけます。ウイルスに感染した細胞やがん細胞などを攻撃する役割を持つ「ナチュラルキラー(NK)細胞」の活性度が、笑いによって向上することが数多くの研究で報告されています【資料B】。


ユーモアに富んだ映像を観た後では、被験者のNK細胞がより活発になるという実験結果は、古くから言われる「病は気から」という言葉に科学的な裏付けを与えるものと言えるでしょう。ストレスの多い現代人にとって、意識的に笑う機会を持つことは、自らの防御力を高めるための、手軽で効果的な健康法なのです。


脳内報酬系への刺激と幸福感


笑いがもたらすのは、不快の軽減だけではありません。それは同時に、快感や幸福感を積極的に生み出す作用も持っています。私たちが笑うとき、脳内では「エンドルフィン」と呼ばれる物質が分泌されます。このエンドルフィンは、脳内麻薬とも称されるほど強力な鎮痛作用と多幸感をもたらす神経伝達物質です。 長距離ランナーが感じる「ランナーズハイ」も、このエンドルフィンの作用によるものとして知られています。笑うことで、私たちは自らの力で幸福感を生み出すことができるのです。


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また、エンドルフィンに加えて、意欲や学習能力に関わる「ドーパミン」の分泌も促進されることが分かっています【資料C】。ドーパミンは脳の「報酬系」を活性化させ、私たちにポジティブな動機付けを与えてくれます。 ユーモアのあるコミュニケーションが心地よく感じられたり、面白い体験をまたしたいと感じたりするのは、この報酬系の働きによるものです。つまり、笑いは単なる一時的な気晴らしではなく、私たちの幸福感を高め、人生に対する前向きな姿勢を育むための、脳科学的な基盤を持っていると言えます。


ユーモアが育む「レジリエンス」という心の筋肉


ユーモアの価値は、こうした直接的な生理的効果に留まりません。より長期的な視点で見れば、それは逆境からしなやかに立ち直る力、すなわち「レジリエンス」を育む上で極めて重要な役割を果たします。レジリエンスは、変化の激しい現代を生き抜くビジネスパーソンにとって不可欠な心理的資本と言えるでしょう。

困難な状況を乗り越える力


深刻な問題に直面したとき、私たちは視野が狭くなり、一つの考えに固執してしまいがちです。しかし、そこにユーモアの視点を持ち込むことで、状況を少しだけ突き放して、客観的に捉え直す余裕が生まれます。物事の滑稽な側面や矛盾点を見つけ出して笑うという行為は、実は高度な知的作業です。

それは、支配的な感情から一歩距離を置き、問題を別の角度から再評価する認知的なリフレーミング(枠組みの転換)を促します。このプロセスを通じて、私たちは絶望的な状況の中にも新たな可能性や解決の糸口を見出すことができるのです。

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これは決して、問題を軽んじたり、現実から逃避したりすることと同義ではありません。むしろ、ユーモアは、過度な深刻さに飲み込まれることなく、現実と冷静に向き合い続けるための精神的なスタミナを与えてくれるのです。困難な時こそ笑いを忘れない姿勢が、折れない心を育む土壌となります。


人間関係の潤滑油としてのユーモア


ビジネスの現場において、ユーモアはコミュニケーションを円滑にし、強固な信頼関係を築くための強力なツールとなります。適度なユーモアは、会議の緊張した空気を和らげ、自由な意見交換を促進します。また、リーダーが自らの小さな失敗を笑いに変える自己開示的なユーモアは、親近感を生み、チームの心理的安全性を高める効果があることも指摘されています【資料D】。

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もちろん、誰かを傷つけたり、貶めたりするような攻撃的なユーモアは論外です。ウェルビーイングに繋がるのは、他者への共感と配慮に基づいた、ポジティブなユーモアです。共に笑い合うという体験は、人々の間に感情的な絆、つまり「つながり」を生み出します。この「つながり」の感覚こそが、孤独感が蔓延しがちな現代の都市生活において、私たちの精神的な安定を支える重要な基盤となるのです。

日常生活にユーモアを取り入れるヒント


では、私たちは具体的にどのようにして、日常生活の中にユーモアを増やしていけばよいのでしょうか。「ユーモアのセンス」は、一部の人だけが持つ特別な才能だと思われがちですが、実際には意識と訓練によって誰もが磨くことのできるスキルです。


「ユーモアの視点」を意識する


まずは、日常の中に潜む「おかしみ」を見つけ出す視点を養うことから始めてみましょう。完璧に見える物事の裏にあるズレや矛盾、自分自身の小さな失敗などを、深刻に捉えるのではなく、「面白いな」と観察してみるのです。


例えば、格式高い会議で誰かのお腹が鳴ってしまった瞬間や、自分が予定を勘違いしていたことに気づいた時など、日常には思わず笑みがこぼれるような瞬間が溢れています。こうした出来事を、眉をひそめるのではなく、人間的な愛嬌として受け入れる心の余裕を持つことが、ユーモアの第一歩です。

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また、良質なコメディ映画や演劇、落語などに触れることも有効です。プロの作り手がどのようにして日常から笑いを生み出しているのかを観察することで、ユーモアのパターンや構造を学ぶことができます。


ポジティブなユーモアを使い分ける


重要なのは、どのような種類のユーモアを用いるかです。心理学の研究では、ユーモアのスタイルは大きく4つに分類され、中でも自己高揚的ユーモア(困難な状況でも明るい面を見出す)や、親和的ユーモア(他者との関係を良好にするためにジョークを言う)が、精神的な健康や幸福感と強い正の相関を持つことが示されています【資料E】。

一方で、他者を貶める攻撃的ユーモアや、過度に自分を卑下する自己敗北的ユーモアは、短期的には笑いを生むかもしれませんが、長期的には人間関係を損なったり、自尊心を低下させたりするリスクを伴います。私たちが目指すべきは、自分も他者も尊重し、共にポジティブな感情を分かち合えるような、建設的なユーモアです。


笑いと共に歩む、豊かな人生

ユーモアと笑いが、ストレスの軽減、免疫機能の向上、幸福感の増進といった直接的な効果から、レジリエンスの育成や人間関係の円滑化といった長期的・社会的な効果に至るまで、私たちのウェルビーイングに大きな貢献をすることを見てきました。

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目まぐるしく変化し、ストレスの多い現代社会において、意識的にユーモアの視点を持ち、笑う機会を増やすことは、決して現実逃避ではなく、より良く生きるための積極的で賢明な戦略です。それは特別な才能ではなく、日々の意識と実践によって育むことができる、私たちの誰もが持っている内なる力なのです。面白いこと探しを、日々の習慣に加えてみてはいかがでしょうか。


心と体のバランスを整えてウェルビーイングな毎日を


参考文献

【資料A】Berk, L. S., et al. (1989). "Neuroendocrine and stress hormone changes during mirthful laughter". The American Journal of the Medical Sciences, 298(6), 390-396.

【資料B】Sakai, Y., et al. (2020). "Laughter and smiling have positive effects on innate immunity". Journal of Dental Science, 15(3), 371-377.

【資料C】Dunbar, R. I., et al. (2012). "Social laughter is correlated with an elevated pain threshold". Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences, 279(1731), 1161-1167.

【資料D】Pundt, A., & Venz, L. (2017). "Personal need for structure as a boundary condition for the effects of benevolent leadership on follower outcomes". Journal of Business Ethics, 142(4), 749-762.

【資料E】Martin, R. A., et al. (2003). "Individual differences in uses of humor and their relation to psychological well-being: Development of the Humor Styles Questionnaire". Journal of Research in Personality, 37(1), 48-75.

プロフィール

西村太志(にしむら・たいし)

兵庫県出身、東京都国立市在住。一橋大学大学院で社会学を研究中。 ウェルビーイング、つながりの再構築、主観と客観のあいだを探る思想に関心がある。 趣味は読書、映画、音楽(高校時代まで吹奏楽部)。

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