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声をあげるというウェルビーイング “政治参加”がもたらす主観的幸福感

  • 執筆者の写真: 西村太志
    西村太志
  • 8月5日
  • 読了時間: 6分

ウェルビーイングの新潮流 個人の内面から社会との関わりへ


私たちの日常にすっかり定着した「ウェルビーイング」という言葉。心身ともに健康で、社会的に満たされた状態を指すこの概念は、多忙な現代を生き抜くための重要なキーワードとなっています。これまでの議論の多くは、マインドフルネスや運動、食事といった個人の努力で実現できるセルフケアに光を当ててきました。


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もちろん、それらが心身の基盤を整える上で不可欠であることは論を俟ちません。しかし、パンデミックを経て、私たちはリモートワークの普及という恩恵を受ける一方で、他者との偶発的な出会いや雑談の機会を失い、かつてないほどの孤独や社会からの断絶を感じやすくなっているのではないでしょうか。


米国の調査会社ギャラップ社が提唱するウェルビーイングの5つの要素には、良好な人間関係を指す「ソーシャル・ウェルビーイング」や地域社会への貢献感を意味する「コミュニティ・ウェルビーイング」が含まれています【資料A】。


このことからも、私たちの幸福が個人の内面だけで完結するものではなく、他者や社会との「つながり」の中にこそ見出される、きわめて社会的な営みであることがわかります。本稿では、あえて視点を個人の内側から外側へと転じ、「社会との関わり」、特に「政治参加」という活動が、私たちの主観的幸福感に与える影響について、科学的な知見を基に探求していきます。



なぜ「政治参加」が幸福感につながるのか


「政治的効力感」と「自己決定」の感覚


選挙での投票や、特定の政策に対する意見表明、あるいは社会運動への参加といった行動は、一般的に社会をより良くするための手段と見なされています。しかし、そのプロセス自体が私たちの心に与える影響については、あまり語られてきませんでした。政治参加は、自分たちの手で社会環境をコントロールできるという感覚、すなわち「政治的効力感」と深く結びついており、これが主観的な幸福感を高める重要な要素となり得ます。


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これは、心理学における「自己決定理論」が示すところと軌を一にしています。この理論では、人間は「自律性(自分の行動を自分で決めたい)」「有能感(自分はできると感じたい)」「関係性(他者とつながりたい)」という三つの基本的な心理的欲求が満たされたときに、内発的な動機づけが高まり、ウェルビーイングが向上するとされています【資料C】。


政治参加は、まさにこの「自律性」と「有能感」を刺激する格好の機会なのです。社会のあり方に対して、ただ受け身でいるのではなく、自らの意思で声をあげ、働きかけるという主体的な選択そのものが、私たちの根源的な欲求を満たし、深い満足感をもたらすのです。


「つながり」の実感と孤独感の緩和


音楽の力が、ライブ会場で数万人の観客を一体化させるように、政治参加もまた、人々を「つなぐ」強力な社会的機能を持ちます。共通の課題意識を持ち、同じ目的のために行動を共にするとき、そこには趣味のサークルとはまた質の異なる、深いレベルでの連帯感が生まれます。社会の不正義や理不尽に対して共に声をあげる経験は、単なる共感を超え、互いの価値観を深く共有し、支え合うという強固な関係性を築きます。


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この経験は、参加者の心拍や呼吸、脳活動までもが同期することが報告されている集団での音楽活動と同様に、他者への信頼や集団への帰属意識を育むのです。現代社会において孤独が心身の健康に深刻なリスクをもたらすことは広く知られていますが、政治参加を通じて得られる「一人ではない」という感覚は、その孤独を和らげる有効な処方箋となり得ます。 そこは、多様な背景を持つ人々が、社会を良くしたいという一つの目的のもとに集う、心理的に安全な「第三の場所(サードプレイス)」ともなり得るのです。



声をあげることの心理的メカニズム


社会貢献と「人生の目的」


なぜ私たちは、直接的な見返りがなくとも、社会のために行動しようとするのでしょうか。ある論考では、ボランティア活動のような利他的な行動が幸福感につながる理由として、「自己肯定感」の向上を挙げています【資料B】。


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そして、この感覚は、さらに大きな「人生の目的(Purpose in Life)」と深く関わっています。自分のためだけでなく、より大きな何か、例えば地域社会や次世代のために貢献しているという感覚は、私たちに生きる意味と方向性を与えてくれます。政治参加は、まさにこの「人生の目的」を見出すための具体的なアクションとなり得ます。


気候変動の防止や、ジェンダー平等の実現、地域の安全確保など、個人的な関心を超えた社会的な大義に関わることは、日々の仕事や生活に忙殺される中で見失いがちな、より大きな視座を私たちに与えてくれます。自分が広大な社会という物語の、意味ある登場人物の一人なのだという実感は、困難な状況に直面した際のレジリエンス(精神的な回復力)を高め、人生の満足度を根底から支える力となるのです。


信頼できる社会という「心のインフラ」


私たちが日々安心して暮らすためには、道路や水道のような物理的なインフラだけでなく、「心のインフラ」とも言うべき、社会への信頼感が不可欠です。自分が暮らす社会のルールは公正に運用されており、いざという時にはセーフティネットが機能するという信頼感です。内閣府の幸福度研究においても、政治体制への信頼感や、社会的なつながり(ソーシャル・キャピタル)の質が、人々の幸福度に大きく影響することが示されています【資料D】。


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政治不信が蔓延し、社会の分断が叫ばれる現代において、この信頼感は揺らぎがちです。しかし、だからこそ、社会を「自分たちごと」として捉え、その運営に主体的に関わろうとする市民の存在が重要になります。自分たちの声が政治に届き、社会が良い方向に変わる可能性があると信じられること。それは、未来への希望を育み、私たちのウェルビーイングを支える土台そのものなのです。市民一人ひとりの参加が、この「心のインフラ」を補強し、維持していくための不可欠なメンテナンス活動といえるでしょう。



デジタル時代の新たな参加のかたち


もちろん、政治参加へのハードルを高く感じる必要はありません。日々のニュースに関心を持ち、社会の動向を自分なりに解釈することも、立派な政治参加の第一歩です。近年では、テクノロジーの発展がそのハードルを劇的に下げています。


SNS上で社会問題について意見を表明したり、クリック一つでオンライン署名に参加したりすることは、時間や場所の制約を超えて、誰もが手軽に声をあげられる機会を提供してくれます。もちろん、そこにはエコーチェンバー現象や誤情報の拡散、激しい誹謗中傷といった負の側面も存在します。しかし、そうしたリスクを認識し、賢明にツールを使いこなしながら、社会との接点を持ち続けることは可能です。


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重要なのは、完璧な知識や揺るぎない信念を持つことではなく、社会で起きていることを「自分ごと」として捉え、ささやかなアクションを起こしてみることです。その小さな一歩が、社会との新しい「つながり」を生み、自分自身の内面を豊かにし、ひいてはウェルビーイングを高める土壌となるのです。


心と体のバランスを整えてウェルビーイングな毎日を


参考文献

【資料A】Tom Rath and Jim Harter, ‘The Five Essential Elements of Well-Being

」.

【資料B】サステナビリティのその先へ, 「社会貢献活動が、なぜ幸福感向上につながるのか」.

【資料C】Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2000). Self-determination theory and the facilitation of intrinsic motivation, social development, and well-being. American Psychologist, 55(1), 68–78.

【資料D】内閣府 経済社会総合研究所, 「幸福度研究について」.

西村太志(にしむら・たいし)


兵庫県出身、東京都国立市在住。一橋大学大学院で社会学を研究中。

ウェルビーイング、つながりの再構築、主観と客観のあいだを探る思想に関心がある。

趣味は読書、映画、音楽(高校時代まで吹奏楽部)。

 
 
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