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移動することが休息となる 「旅」とウェルビーイングの社会学

  • 執筆者の写真: 西村太志
    西村太志
  • 2026年1月1日
  • 読了時間: 7分

現代人が抱える「休まらない休息」の正体

金曜日の夜、一週間の激務を終えて泥のように眠り、土曜日の昼過ぎに目を覚ます。身体的な疲労はある程度回復しているはずなのに、なぜか頭の芯に重たい霧がかかったような感覚が消えない。そんな経験を持つビジネスパーソンは少なくないのではないでしょうか。



私たちは今、かつてないほど「接続」された社会を生きています。スマートフォンを開けば、そこには仕事のメール、SNSの通知、絶え間なく更新されるニュースがあふれています。物理的にオフィスを離れていても、意識は常に何かに応答し続けているのです。こうした常時接続の状態は、私たちの脳と心に静かではあるけれども、確実に負荷をかけ続けています。


現代社会において真の休息を得るためには、単に身体を横たえるだけでは不十分です。必要なのは、日常の文脈から意識的に身を引き剥がすこと、すなわち「移動」です。ここでは社会学や環境心理学の知見を借りながら、なぜ「旅」という行為が私たちのウェルビーイングにとって不可欠なリカバリー装置となり得るのかを紐解いていきます。



役割からの解放と「演劇」の中断


ドラマトゥルギーの呪縛を解く


社会学者のアーヴィング・ゴフマンは、私たちの社会生活を一種の演劇に見立てる「ドラマトゥルギー(演劇論的アプローチ)」を提唱しました。私たちは職場では「有能な社員」、家庭では「良きパートナーや親」、友人関係では「頼れる友人」といった具合に、無意識のうちにその場に応じた役割(ペルソナ)を演じています。これは社会生活を円滑に進めるために必要なスキルですが、同時に絶え間ない緊張を強いるものでもあります。


日常生活においては、私たちは常に誰かの視線に晒され、その期待に応えようとしています。これをゴフマンは「表舞台」と呼びました。一方で、誰の目も気にせず素の自分に戻れる場所が「楽屋(裏領域)」です。しかし、SNSの普及により、かつては楽屋であったはずのプライベートな時間までもが、「充実した生活」を演出し、他者からの評価(いいね!)を気にする表舞台へと変質してしまいました。


ここで「旅」が持つ社会学的な機能が重要になります。日常の生活圏から物理的に移動することは、この幾重にも重なった役割期待のネットワークから一時的に脱出することを意味します。

見知らぬ土地、見知らぬ人々の中に身を置くとき、私たちは「誰のものでもない自分」を取り戻すことができます。旅先での開放感は、単に景色が美しいからというだけではなく、この「演じることの強制終了」によってもたらされる心理的重荷の消失に起因しているのです。


心理的離脱の重要性は、産業組織心理学の研究でも裏付けられています。ザビーネ・ソネンタグらの研究によれば、仕事のストレスから回復するためには、業務時間外に仕事のことを心理的に完全に切り離す「心理的脱愛着(Psychological Detachment)」が不可欠であるとされています【資料A】。 物理的な移動を伴う旅は、強制的にこの脱愛着を促し、役割演技で摩耗した精神のリソースを回復させる強力な装置として機能するのです。


「不在」が生み出す認知資源の回復

「注意の回復理論」と環境の力

都市生活者が旅に求めるものの多くは、自然や非日常的な景観です。なぜ私たちは疲れた時に自然を求めるのでしょうか。環境心理学者のカプラン夫妻が提唱した「注意回復理論(ART)」は、この問いに明確な答えを与えてくれています。

都市でのデスクワークや複雑な意思決定は、特定の対象に意識を集中させ続ける「指向的注意」を激しく消耗させます。このリソースが枯渇すると、集中力の低下やイライラ、判断ミスが生じます。カプランによれば、この消耗した注意力を回復させるには、努力して注意を向ける必要がない環境、つまり「魅了(Fascination)」される環境に身を置くことが効果的です【資料B】。

旅先での体験、例えば雄大な山々を眺めたり、焚き火の炎を見つめたり、波の音を聞いたりすることは、まさにこの「魅了」の要素に満ちています。そこでは、私たちは何かを分析したり判断したりする必要がありません。ただそこに在るものを受け入れるだけでよいのです。



さらにカプランは、回復をもたらす環境の条件として「日常からの脱出感(Being away)」を挙げています。これは単なる物理的な距離だけでなく、日常の気がかりや義務感から精神的に離れていることを指します。


近所の公園でも一定の効果はありますが、日常の生活圏内では、どうしても「あそこで買い物をしなくては」「帰ったらメールを返さなくては」という思考ノイズが入り込みます。新幹線や飛行機に乗り、物理的にアクセス不可能な距離まで移動することは、こうした思考ノイズを物理的に遮断し、脳の認知資源を深いレベルで回復させるために極めて合理的な戦略なのです。



「ストレンジャー」としての自由と孤独


評価からの自由と社会学的治癒


旅のもう一つの効用は、一時的に「ストレンジャー(よそ者)」になれることです。社会学者のゲオルク・ジンメルは、よそ者を「今日やって来て、明日去っていく人」と定義し、その特異な客観性を指摘しました。旅人である私たちは、その土地のしがらみや人間関係の網の目とは無関係な存在です。


普段の生活では、私たちは常に何らかの属性(肩書き、年収、学歴、家柄など)によって評価されています。しかし、旅先のカフェで通りを眺めているとき、あるいは現地の市場で果物を買っているとき、私たちは単なる「名もなき旅行者」に過ぎません。この匿名性こそが、現代人にとっての究極の癒やしとなります。



そこには、成果を出す必要も、誰かに気を使う必要も、賢く振る舞う必要もありません。この「何者でもなさ」に身を浸すことは、アイデンティティの不安から私たちを解放します。社会学者のエリック・コーエンは、観光を「現代の巡礼」と捉え、日常の構造から離れて精神的な中心を探求する行為であると論じました【資料C】。私たちは移動を通じて、社会的な属性を一つずつ脱ぎ捨て、裸の自己と対話する時間を獲得するのです。


情報通信機器の普及により、私たちは「いつでも、どこでも、誰とでも」つながれるようになりました。総務省の調査でも、SNSの利用時間は年々増加傾向にあり、それに伴う疲労感も報告されています【資料D】。


しかし、ウェルビーイングの観点からは、「つながらない権利」や「孤立する時間」の確保こそが、逆説的に精神の健全さを保つ鍵となります。旅は、この「戦略的孤立」を正当化してくれる社会的装置でもあるのです。



移動を生活のOSに組み込む


ここまで見てきたように、旅は単なるレジャーや消費活動ではありません。それは、過剰な役割期待、枯渇する注意資源、そして恒常的な評価圧力から私たちを解放し、人間本来のバランスを取り戻すための社会的な機能を持っています。


「忙しいから旅に行けない」のではなく、「忙しいからこそ旅が必要」なのです。それは長期のバカンスでなくても構いません。週末に少し遠くの街へ行くだけでも、あるいは各駅停車に乗って見知らぬ駅で降りてみるだけでも、移動の効果は得られます。物理的な距離が心理的な距離を生み、その隙間にこそ、明日を生きる活力が充填されるからです。



移動すること。それは逃避ではなく、より良く生きるための積極的な自己調整技術です。カバン一つで日常を飛び出し、「何者でもない自分」に戻る時間を、あなたのスケジュールに書き込んでみてください。


心と体のバランスを整えてウェルビーイングな毎日を。

【参考文献】

【資料A】Sonnentag, S., & Fritz, C. (2007). "The Recovery Experience Questionnaire: Development and validation of a measure for assessing recuperation and unwinding from work". Journal of Occupational Health Psychology, 12(3), 204–221.

【資料B】Kaplan, S. (1995). "The restorative benefits of nature: Toward an integrative framework". Journal of Environmental Psychology, 15(3), 169-182.

【資料C】Cohen, E. (1979). "A Phenomenology of Tourist Experiences". Sociology, 13(2), 179–201.

【資料D】総務省情報通信政策研究所. (2023). 令和4年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書


西村太志(にしむら・たいし)

兵庫県出身、東京都国立市在住。一橋大学大学院で社会学を研究中。

ウェルビーイング、つながりの再構築、主観と客観のあいだを探る思想に関心がある。

趣味は読書、映画、音楽。

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